加藤シゲアキが嫌われる勇気で演技が下手だと感じてしまう理由
嫌われる勇気の本を読んでファンになった人間からすると、
この書籍をドラマ化するのはちょっと抵抗がありました。
大体こういう時って、原作を超える面白さになることは少なくその大半は評価を下げてしかいないからね(;・∀・)
また、原作をそのまま映像化することも極めて少なく、
よくわからない方向に脚色されて世間に発信されていくのがオチです。
案の定、今回のドラマ『嫌われる勇気』はアドラー心理学の題材を使って刑事モノを融合させるという謎なコラボレーションをしている。
これが良かったのか悪かったのか分からないけど、
現在、オンエア中の嫌われる勇気が初回放送からイマイチ評価がよろしくないのは事実。
なんとなくそういうことになりそうな予感はしていたので、この結果はそんなに驚いていません。
それよりも。
それよりも、引っかかることがあります。
それが、
加藤シゲアキくんの演技力です。
加藤シゲアキ 『嫌われる勇気』での演技力
加藤シゲアキくんはドラマの中で刑事役をやっています。
主演の香里奈さんのいる部署に配属されて、香里奈さんのバディとして香里奈さんの下につくといった形で事件を解決していきます。
この関係性はよく見るやつですよね。
我が道を行き、新たな道を次々と切り開いていく主人公に対して一般的な常識を持ち合わせて主人公に振り回される準主演。
多分このバランスが観やすいのかもしれないです(´・ω・`)
ただ、この場合って主人公に振り回される人ってそこまでの演技力が必要とされない気がするんですよ。
だってドラマの演出上、そのポジションの人は『普通』じゃないといけないからです。
そうじゃないと主人公の独創的な発想が霞んでしまうんです。
もしここで香里奈さんがアドラー心理学にならって発言している
『自由とは、他者から嫌われることである』
『人間の悩みは、すべて対人関係の悩みである』
『現在の自分が不幸なのは、実は自分で不幸であることを選んでいるからだ』
などの発言に対して、加藤シゲアキくんが、
『そうなんですよ!僕もそう思ってるんですよ!』って最初から同意してしまったら、その言葉のインパクトが弱まってしまう。
あくまで加藤シゲアキくんの役割は、一般的な見解であって世間の人の多くの考えを代表して香里奈さんにぶつけることだ。
つまり、そのポジションの人に『演技力』を求めるのはなかなか酷なことなわけです。
そう考えると今の加藤シゲアキくんのあの演技力はポジションに適応しているなと感じます。
しかしそんなことお構いなしに世間から演技下手の声が聞こえてきています。
その原因は多分アドラー心理学的に言うと、他者との『比較』にあると思います。
加藤シゲアキの演技が下手だと思ってしまう理由
他者との比較。
これは今話したようにこの関係性のドラマで加藤シゲアキのポジションを演じてきた人たちとの比較です。
例えば、刑事モノでバディを組んだドラマといえば・・・。
『ガリレオ』 福山雅治・柴咲コウ
『相棒』 水谷豊・寺脇康文
『ケイゾク』 中谷美紀・渡部篤郎
『古畑任三郎』 田村正和・西村雅彦
これらのドラマ内での2人の関係性は『嫌われる勇気』の劇中の香里奈さんと加藤シゲアキくんの関係性と似ていますよね。
世間はこのようなドラマの準主演の役者と加藤シゲアキくんを比較しているわけです。
きっと、このような前例が無い設定であれば新鮮な感覚で視聴できたかもしれません。
しかしこの相関図はもういくつも凄腕役者がやってきているから、加藤シゲアキくんでは何か物足りなさを感じてしまっているのかもしれませんね。
さらにこのドラマは原作があります。
原作で言う青年の役が加藤シゲアキくんの演じてるところだと思いますが、
だとしたら何かが違うしそれを上手く演じるのはなかなか難しいことのように思うわけです。
このような理由から、僕は加藤シゲアキくんがドラマ『嫌われる勇気』で演技が下手に見えてしまう理由を綴ってみました。
以上、スーパー個人的な感想でした。